風倉匠

KAZAKURA Sho


1936年大分県生まれ。高校生の頃からシュルレアリスムやダダイズムに興味を持ち、詩人を志す。卒業後「新世紀群」のアトリエで絵画に取り組む。1956年 武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)油絵科入学(1958年 中退)。この頃、赤瀬川原平と出会い、吉村益信と交流する。1957年大分県総合文化祭で、際限なく椅子から落ち続けるハプニングを行う。これはハプニングの創始者と言われるアラン・カプローに先駆けたものである。1960年「第12回読売アンデパンダン展」出品(以降最終回の第15回まで毎回出品)。 同年、吉村益信、篠原有司男らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成し、その年3回行われた「ネオ・ダダ展」に出品。1961年 村松画廊で初個展。この頃から巨大なバルーンを 用いた独自のパフォーマンスを展開。1962年「敗戦記念晩餐会 芸術マイナス芸術」で「サドの遺言執行式」を土方巽と共演。1964年ハイ・レッド・センターの「シェルター計画」「ドロッピング・イベント」などに参加。同年「オフ・ミューゼアム展 」参加。九州派、グループ音楽、土方巽、邦千谷、松澤宥、VAN映画科学研究所メンバーらとジャンルを超えた共演を多数行う。1973年から75年にかけて網走に移り住み、カフカ「流刑地にて」の映画化を試行する。1975年 東京に戻り、絵画や版画の制作を開始。松澤宥のあとを受けて美学校で教壇に立つ。1979年 大分に帰郷。1980年 大分県立芸術会館で個展「-絵画の起点を探す検討作業-」開催。1986年「前衛芸術の日本 1910-1970」(ポンピドゥ・センター、パリ)で小杉武久とジョイ ント・パフォーマンスを行う。1992年「巨大都市の原生 東京-大阪行為芸術 1992年 ヨーロッパ・ツアー」に参加し、欧州各地でパフォーマンスを行う。1995年ナム・ジュン・パイク 第6回 福岡アジア文化賞受賞記念公演「歸去來」で パイク、小杉武久、邦千谷と共演 。同年「第7回バングラデシュ・アジア美術ビエンナーレ」参加。2000年より「共同アトリエ・3号倉庫」 (福岡)の総合ディレクターとして若手作家を指導する。2002年 大分市美術館で個展「-さわれる原風景を探す-風倉匠展」開催。2007年 肺癌で逝去(71歳)。

風倉匠
《陰陽学》
石膏、鉛粉
7.5×14×8cm
1995年
風倉匠
《温暖計》
ミクストメディア
60×34cm
1994年
《ニュートンの法則》
鉛・木綿・樹脂・松脂・板
90×60.6cm
1981年
《ホワイトクロス》
デカルコマニー・シルクスクリーン
62.2×48.2cm
1977年

風をたくらむ−風倉匠」(2022)
ネオ・ダダの痕跡」(2020)
風倉 匠 展」(2008)
ネオダダ 風倉匠・田中信太郎・吉野辰海 ドローイング展」(2007)
個展「ホワイトクロス」(2006)
個展「風の馬は色を奏でる」(2005)
箱の中へ… 池田龍雄・風倉匠 オブジェ展」(2005)
個展「濃淡の段階的な推移」(2004)
個展「さわれる原風景を探す」(2003)


カタログ / BOOK
『風をたくらむ−風倉匠』

A4判 32ページ 700円(税込)
「第7回バングラデシュ・アジア美術ビエンナーレ」(1995年)でのパフォーマンス写真ほか掲載
寄 稿:篠原有司男 (美術家)/菅章(大分市美術館館長)/吉野辰海 (美術家)
発行日: 2022年5月17日
発 行: ギャラリー58