風をたくらむ−風倉匠
KAZAKURA Sho
2022年5月17日(火)−6月3日(金)
※日曜休廊・最終日は17:00まで
パフォーマンス・アートの先駆者、風倉匠(かざくら しょう 1936-2007)の個展を開催します。風倉は1957年に、舞台上で椅子から際限なく落ち続けるというハプニングを行います。これはハプニングの創始者と言われるアラン・カプローに先駆けたものでした。1960年吉村益信、篠原有司男らとネオ・ダダイズム・オルガナイザーズを結成。ハイ・レッド・センターのイヴェントに参加し、小杉武久、土方巽、邦千谷、松澤宥、VAN映画科学研究所メンバーらとジャンルを超えた共演を多数行います。またオブジェや絵画の優れた作品を手がけ、巨大なバルーンを用いた独自のパフォーマンスを展開し、国際的にも高い評価を得ています。
本展では絵画、オブジェ、パフォーマンスの映像、資料をご紹介します。拡大鏡を覗きながらデカルコマニーと手描きを組み合わせて制作した極小絵画《リリパット》シリーズ、1994年に福岡市美術館で行われたパフォーマンス「ピアノを打つ」の映像と、解体されたピアノ部品で制作したオブジェ《ピアノ狂詩曲》や、1995年「バングラデシュ・アジア美術ビエンナーレ」のバルーンを用いたパフォーマンス映像ほかを展示します。ナム・ジュン・パイクが 「世界で最も無名な有名人」と評し、様々なジャンルの表現者から敬愛された風倉匠の世界をお楽しみください。
カタログ / BOOK
『風をたくらむ−風倉匠』
A4判 32ページ 700円(税込)
「第7回バングラデシュ・アジア美術ビエンナーレ」(1995年)でのパフォーマンス写真ほか掲載
寄 稿:篠原有司男 (美術家)/菅章(大分市美術館館長)/吉野辰海 (美術家)
発行日: 2022年5月17日
発 行: ギャラリー58
風倉匠 かざくら しょう
1936年大分県生まれ。本名は橋本正一(通称:正巳)。高校生の頃からシュルレアリスムやダダイズムに興味を持ち、詩人を志す。卒業後「新世紀群」のアトリエで絵画に取り組む。1956年 武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)油絵科入学(1958年 中退)。この頃、赤瀬川原平と出会い、吉村益信と交流する。1957年大分県総合文化祭で、際限なく椅子から落ち続けるハプニングを行う。これはハプニングの創始者と言われるアラン・カプローに先駆けたものである。1960年「第12回読売アンデパンダン展」出品(以降最終回の第15回まで毎回出品)。同年、吉村益信、篠原有司男らと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」を結成し、その年3回行われた「ネオ・ダダ展」に出品。1961年 村松画廊で初個展。この頃から巨大なバルーンを用いた独自のパフォーマンスを展開。1962年「敗戦記念晩餐会 芸術マイナス芸術」で「サドの遺言執行式」を土方巽と共演。1964年 ハイ・レッド・センターの「シェルター計画」「ドロッピング・イベント」などに参加 。同年「オフ・ミューゼアム展 」参加。九州派、グループ音楽、土方巽、邦千谷、松澤宥、VAN映画科学研究所メンバーらとジャンルを超えた共演を多数 行う。1973年から75年にかけて網走に移り住み、カフカ「流刑地にて」の映画化を試行する。1975年 東京に戻り、絵画や版画の制作を開始。松澤宥のあとを受けて美学校で教壇に立つ。1979年 大分に帰郷。1980年 大分県立芸術会館で個展「-絵画の起点を探す検討作業-」開催。1986年「前衛芸術の日本 1910-1970」(ポンピドゥ・センター、パリ)で小杉武久とジョイント・パフォーマンスを行う。1992年「巨大都市の原生 東京-大阪行為芸術 1992年 ヨーロッパ・ツアー」に参加し、欧州各地でパフォーマンスを行う。1995年 ナム・ジュン・パイク 第6回福岡アジア文化賞受賞記念公演「歸去來」でパイク、小杉武久、邦千谷と共演。同年「第7回バングラデシュ・アジア美術ビエンナーレ」参加。2000年より「共同アトリエ・3号倉庫」(福岡)の総合ディレクターとして若手作家を指導する。2002年 大分市美術館で個展「-さわれる原風景を探す-風倉匠展」開催。2007年 肺癌で逝去(71歳)。
[主な展覧会、パフォーマンス]
1957年 「大分県総合文化祭」大分県教育会館ホール(大分)椅子から落ちるハプニングを行う
1960年 「第12回読売アンデパンダン展」東京都美術館(東京)以降第15回まで毎回出品
「第1回 ネオ・ダダ展」銀座画廊(東京)
「第2回 ネオ・ダダ展」新宿・吉村益信アトリエ(東京)
「第3回 ネオ・ダダ展」日比谷画廊(東京)
1961年 初個展 村松画廊(東京)
1962年 「敗戦記念晩餐会 芸術マイナス芸術」国立市公民館(東京)
九州派「英雄たちの大集会」百道海水浴場 百道屋(福岡)
1963年 「SWEET16」草月会館ホール(東京)
1964年 「オフ・ミューゼアム展」椿近代画廊(東京)
飯村隆彦制作映画「リリパット王国舞踏会」出演
ハイ・レッド・センター「シェルター計画」「ドロッピング・イベント」などに参加
1965年 土方巽「バラ色ダンス− A LA Maison de M.Civecawa(澁澤さんの家の方へ)」千日谷会堂(東京)
1969年 「インターメディア・アート・フェスティバル 」キラー ・ ジョーズ/日経ホール(東京)
1971年 「第10回現代日本美術展」東京都美術館(東京)
1973年 「コマバ・アンソロジー」邦千谷舞踏研究所(東京)
1977年 「サンパウロ・ビエンナーレ」(ブラジル) 松澤宥作品の被写体となる
1980年 個展「絵画の起点を探す検討作業」大分県立芸術会館(大分)
1984年 「What was next ?」西武美術館(東京)
1986年 「前衛芸術の日本 1910−1970」ポンピドゥ・センター(フランス)
1988年 「九州派展 −反芸術プロジェクト」福岡市美術館(福岡)
1992年 「巨大都市の原生 東京−大阪行為芸術 1992年ヨーロッパ・ツアー」(ドイツ/オランダ/ベルギー/フランス)
1993年 「第1回長野国際パフォーマンス・フェスティバル 」長野県県民文化会館(長野)
「流動する美術−III ネオ・ダダの写真」福岡市美術館(福岡)
1994年 「流動する美術−III ネオ・ダダの写真 」関連事業 パフォーマンス「ピアノを打つ」福岡市美術館(福岡)
1994~96, 98, 00~07年 個展 ギャラリーとわーる(福岡)
1995年 ナム・ジュン・パイク 第6回福岡アジア文化賞受賞記念公演「歸去來」NHK福岡放送局テレビホール(福岡)
「ʼ95ネオ・ダダ<一断面>展 −記録写真を中心に−」コンパルホール(大分)
「第7回バングラデシュ・アジア美術ビエンナーレ」オスマニ記念ホール他(バングラデシュ)
1998年 「ネオ・ダダ JAPAN 1958-1998 −磯崎新とホワイトハウスの面々−」アートプラザ(大分)
「アートキャンプ白州 ʼ98 」 山梨県白州町横手・大坊地区(山梨)
2002年 「−さわれる原風景を探す− 風倉匠展」大分市美術館(大分)
2003~06, 08年 個展 ギャラリー58
2004年 「濃淡の段階的な推移」共同アトリエ・3号倉庫(福岡)
2005年 「箱の中へ… 池田龍雄・風倉匠 オブジェ展」ギャラリー58
2007年 「風倉匠・田中信太郎・吉野辰海 ドローイング展 消える絵画・ヘリオトロープ・スクリュー」ギャラリー58
2008年 「風倉匠展 」共同アトリエ・3号倉庫(福岡)
2018年 「モダンアート再訪 −ダリ・ウォーホルから草間彌生まで 福岡市美術館コレクション展 」鳥取県立博物館(鳥取)/埼玉県立近代美術館(埼玉)/広島市現代美術館(広島)/横須賀美術館(神奈川)
2020年 「ネオ・ダダの痕跡」ギャラリー58
2021年 「開館5周年記念 九州洋画II:大地の力−Black Spirytus」久留米市美術館(福岡)
[パノラマ]8つの定点でご覧いただけます
http://art-museum.main.jp/jam_live2022/g58_274/
大分合同新聞朝刊 2022年5月21日(土)
読売新聞夕刊 2022年5月28日(土)
西日本新聞朝刊 2022年6月3日(金)
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/934088/
2020年 「ネオ・ダダの痕跡」
2008年 「風倉匠展」
2007年 「風倉匠・田中信太郎・吉野辰海 ドローイング展 消える絵画・ヘリオトロープ・スクリュー」
2006年 個展「ホワイトクロス」
2005年 個展「風の馬は色を奏でる」
2005年 「箱の中へ… 池田龍雄・風倉匠 オブジェ展」
2004年 個展「濃淡の段階的な推移」
2003年 個展「さわれる原風景を探す」