風倉匠と3号倉庫の作家たち
2023年7月6日(木)−7月22日(土)
12:00-19:00 日曜休廊・土曜日は17:00まで
出品作家: 風倉匠 / 安部貴住 / 高田麻衣子 / 寺江圭一朗 / 長峰麻貴 / 成田鐘哲 / 平岡昌也 / 三輪恭子 / 森田加奈子
「共同アトリエ・3号倉庫」は、福岡の湾岸エリアにある倉庫を改装して2000年から2011年まで運営された、若手アーティストのためのアトリエ兼展示スペースです。ある篤志家が、匿名で10年間資金援助をする約束をしてこのプロジェクトはスタートし、支援総額は数千万円にのぼりました。顔も名前も一切明かさないまま、若者たちに支援を続けたその篤志家は、親しみを込めて「あしながおじさん」と呼ばれました。
倉庫には個々に使用できるアトリエ5部屋と展示スペースがあり、公募で選ばれた若手アーティストは最長3年間在籍することが可能で、定期的に個展やグループ展を開催するほか、池田龍雄、風倉匠、小杉武久ら国内外で活躍する作家の展覧会やイベントも多数企画されました。アーティストや美術愛好家、学芸員、ジャーナリストなどが世代を超えて集い、美術のエネルギーが渦巻く稀有な交流の場として、福岡のアートシーンで大きな存在感を放ちました。
元ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズのメンバーで、世界的パフォーマーの風倉匠は、プロジェクト立ち上げの2000年から他界する2007年まで総合ディレクターを勤め、若者たちと共に制作し語らい、その精神は今もメンバーに受け継がれています。
本展では「共同アトリエ・3号倉庫」に在籍したメンバー24名の中から8名の新作を紹介するとともに、風倉匠の作品とパフォーマンス映像、「共同アトリエ・3号倉庫」の資料をご紹介します。3号倉庫がクローズして10年以上が経ち、「あしながおじさん」が95歳で他界して1年が経つ今も、在籍していたメンバーの多くが意欲的に制作を続けています。芸術の灯を絶やさぬようにと匿名で支援を続けた「あしながおじさん」の想いが、多くの方に伝わり繋がっていくことを願い、元3号倉庫メンバーの新作をご覧いただきます。
風倉匠
KAZAKURA Sho
「共同アトリエ・3号倉庫」の総合ディレクターを2000年から2007年の間勤める。
1936年大分県生まれ。1960年、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズのメンバーとして活動。ハイ・レッド・センター、小杉武久、土方巽、松澤宥らとジャンルを超えた共演を多数行う。オブジェや絵画の優れた作品を手がけ、巨大なバルーンなどを用いた独自のパフォーマンスを展開し、国際的パフォーマーとして活躍した。2007年、71歳で逝去。
https://www.gallery-58.com/artist/kazakura/
安部貴住
ABE Takasumi
博多埠頭にある大きな倉庫は、夢のようなアトリエで、24時間365日3号倉庫中心の時間が流れた。今でもそんな場所があったことを周囲に話してもなかなか信じてもらえない。初めての個展やグループ展を具体的にどのように創り上げるか、同じメンバーのアーティストと話し合い、表現する事とはどんなことなんだろうと熟考し周囲からは様々な刺激を受けた。また風倉さんをはじめ、多くのアーティストと出会い批評をして頂いた方々との会話など、創る側としての学びは短期間で計り知れないものだった。私は、昼の運送のアルバイトを終えてから夜の制作が主だった。静かな夜の海の風や匂いは制作中、心地よく一人ぼっちになった。時折、壁面に掛けられた鉛で梱包された、風倉さんのピアノの作品と沢山会話をすることができた。
風倉さんは作品制作に対して言葉かけは一切なく、創っている楽しさやワクワクを共感してくれる。作品を創っていてたまらなく嬉しい時はニコニコしている。小杉武久さんとの楽しそうな会話。制作している時の楽しそうな会話。昔話。内容や出てくる地名や人物は全くわからないけど、とにかくとても楽しそうな大人の会話がたまらなく嬉しそう。
プロフィール
1976年大分県生まれ。2001年九州産業大学芸術学部美術学科彫刻コ−ス研究生終了。在学中の彫刻制作時代から「circulate-循環」をコンセプトに作品制作発表を行う。2001年共同アトリエ3号倉庫の個展からサウンドインスタレーションを発表する。大気や温度、光など、物質的な自然の変化—循環を可視化、視聴化する行為を制作と同義であるとした。身近にある水や風、大気の流れから発する音を収集し光に変換する作品や、水滴から発する小さな音を変換増幅させた作品、そこからイメージされたドローイングなどを発表している。主な展覧会に、2003年「福・北美術往来展[Traffic]」北九州市立美術館・福岡市美術館(福岡)、2006年「Force of Nature-自然の力-」滞在制作(アメリカノースカロライナ州デヴィッドソン大学)ほか。現在東京都在住。
高田麻衣子
TAKADA Maiko
風倉さんはこちらが緊張してしまう様な空気感は微塵も感じさせない穏やかな方。小柄でニヤリと笑みを浮かべる少年の様な顔をして、少しかすれた甲高い声で話す。人生の先輩、アーティストの大先輩とはアートのあれこれよりも、たわいない会話の記憶が多く、私が「風倉さん、コーヒー飲みますか?」と聞くと「うん、飲もうかな。」とコーヒーを飲みながら、幼少期に不発弾で怪我をした話やインドでの話など、時には公で話せない内容も聞かせてくれたり。ある時は「まいちゃん、パン食べる?」と倉庫近くのパン屋さんの大きなソフトフランスでお昼を一緒に食べたり。風倉さんが大分市美術館の個展準備で2階のギャラリースペースでマスクとゴーグルを着け、床一面に広げた大きな紙にエアーブラシで制作する光景も懐かしい思い出です。
3号倉庫では広い空間だからこその表現をしたいと思い、インスタレーションでの制作に専念することができたのはとても大きな経験です。昼夜とわず自由に使えるスタジオは、本当に贅沢な環境だったと思います。DMの作り方や公募の出し方など、一通り基本的な術を同期のメンバーから学んだり、アートに関わる方達とのご縁を頂けた貴重な場所でした。
プロフィール
1978年佐賀県生まれ。2001年九州産業大学芸術学部美術科絵画研究生修了。日常の流動的な風景や心模様、記憶の欠片を「内なる部屋」に見立て、糸や布、ビーズなどの繊細な素材と、光と影を組み合わせたインスタレーションを発表。草原の前に椅子を置き、記憶を眺める「忘却の丘」や、高さ数メートルの円柱状の赤い糸を暗い会場に浮かび上がらせ、他者の内面にある揺らぎや光と影を体感する幻想的なインスタレーション、過去の記憶に寄り添うような古布、古い鈴、ガラス玉などを小さな生き物や菌類に見立て、生と死、祈りを表現した作品などを発表。現在は平面作品を中心に制作している。主な展覧会に、2003年「福・北美術往来展」福岡市美術館/北九州美術館(福岡)、2009年久我記念美術館個展(福岡)、2019、20年「へいわ・みえかた」小郡カトリック教会(福岡)ほか。現在福岡県在住。
https://www.instagram.com/asacoromo/
寺江圭一朗
TERAE Keiichiro
僕は美術をすることが辛くなることがあり、3号倉庫の固定電話から風倉さんに悩み相談の電話をしたことがありました。自殺をテーマにした作品で個展をした直後で、それが原因だったと思います。電話すると、ちょうど福岡に来ていると分かり、走って会いに行きました。風倉さんは、焼き鏝で身体を痛めるパフォーマンスをした話をしてくれ、「あの時は僕も精神的に辛く周りに迷惑をかけた。」と言いました。それから、売り絵、DNA、癌細胞、宗教の話をしてくれました。話を聞いているうちに、風倉さんはどうしてこの話をしているのだろうという気持ちになってきて、気が付けば不思議と落ち着きを取り戻していました。その半年後、次の個展準備を3号倉庫でしている時に風倉さんが来ました。僕の作品を見て「僕が股間にパトランプを付けて身体中にゴムを巻いて天井から飛び跳ねるから、君はこの光る後光を背負って、一緒に遊ぼう!」風倉さんはにやりと笑っています。そういう遊びを初めて聞いたし、実際どんな遊びになったのか、風倉さんは亡くなったから分かりません。だけど、今も美術で迷うとき、この遊びについて考え、相談しています。いつか僕も遊んでほしいです。
プロフィール
1981年広島県生まれ。2005年大分大学大学院教育学研究科修了。多様な方法を使い、対象に近づくにはどうすれば良いか考えています。それはたいてい失敗に終わるのですが、ときどき近づけたような気がする時もあります。だけど、上手くできたと感じた時も、本当は近づけているか分かりません。これまで、地域、言語、歴史、他人などの対象に近づこうとしてきましたが、芸術の方法や対象が何になるかについて、本当はあまり興味がありません。それよりも、何かに近づこうとする芸術の性質そのものに興味があります。芸術の歴史も実は何かに近づこうとしてきた軌跡なのではないかと考えるようになりました。主な展覧会に、2014年「とっとっと?きおく×キロク=」福岡県立美術館(福岡)、2015年「リヨンビエンナーレ:Rendez-vous15」institut d`art contemporain(フランス リヨン)、2022年「基いの町」基町プロジェクト(広島)ほか。2016年から2018年にかけて、ポーラ美術振興財団芸術家派遣制度と文化庁新進芸術家派遣制度によって重慶・中国に滞在。現在韓国ソウル在住。
作品について
https://www.terae.info/prometheus/
https://www.terae.info/
長峰麻貴
NAGAMINE Maki
風倉さんは人生の中で出逢って生きる道標になった大切な人。
わたしが劇団四季を辞めて父親も亡くなり、仕事もないのに、舞台美術の道にいくか現代美術の道にすすむのか迷っていたら、両方やれば良いじゃないかと背中をおしてくれた。そんな風倉さんのパフォーマンスでもっとも印象的だったのは3号倉庫にピアノ線を張り巡らして倉庫を大きな楽器のようにみたてて弦で奏でるパフォーマンス。空間全体が振動してなんとも不思議な音につつまれ鳥肌がたったのを覚えている。その体感がわたしの今につながっている。風倉さんには一度コーヒーをご馳走になった。ポケットから茶色い封筒をだして「今日ギャラを貰ったからね!」といって(笑)飾らないカッコつけない感じも素敵で。もっともっと話をしたかったなあ。
3号倉庫は助成金ではなく匿名の一般の方、あしながおじさんによって支えられていた類いまれな奇跡の場所だ。助成金頼みで制作している今だからわかるが、それは本当にすごいことで。本来芸術は日常のなかでお互いの支えがあって在る場であれば人生は豊かになる気がする。表現者がますます生きにくい世界になってきてるからこそ、このような場所があったことを多くの人に知っていただき興味をいだいてほしい。
プロフィール
1975年東京都生まれ、福岡県育ち。2000年武蔵野美術大学大学院空間演出デザイン学科修了。学生時代は舞台美術家の堀尾幸男、高田一郎、小竹信節各氏に師事。卒業後は劇団四季に所属し、ライオンキングの舞台監督助手を700回以上勤める。2004年退団後は美術と演劇のあわいで活動を続ける。作品は鑑賞者の想像力に半分ゆだねられるという演劇的発想のもと、作品と鑑賞者の間に生まれる予期せぬズレやハプニング的要素を取り入れる時空間づくりを目指している。主な舞台美術作品に、「新羅生門」 (横内謙介演出)、「おばけりんご」(橋下昭博演出)、「遠くから見ていたのに見えな い」(白神ももこ演出)、「メンドゥルサッコンの渦巻」(巻上公一演出)、「冒険者たちJOURNEY TO THE WEST〜」(長塚圭史演出)「さいごの1つ前」(松井周演出)ほか。2016年、第43回伊藤熹朔賞新人賞受賞。2019年、第46回伊藤熹朔賞奨励賞受賞。テアトリカルイデア代表。こども達に向けたワークショップなどを行う「ひょうげんのあそびば」主催。武蔵野美術大学、玉川大学、日本大学非常勤講師。現在東京都在住。
成田鐘哲
NARITA Shotetsu
3号倉庫はむき出しの物流倉庫を改装した強靭な空間だった。若い作家だけでなく、国内外で活躍する作家があの時「3号倉庫」に集い、空間と人が私達若い作家に強い影響を与えていた。私が「3号倉庫」に制作アトリエとして関わったのは、設立当初の2001年から2003年の3年間だった。3号倉庫を活用することになった同世代作家3人と共に4人で風倉さんと3号倉庫でお会いした時、私は風倉さんをよく知らなくて、美術誌の紙面でパフォーマンスを行っている美術家としての認識しかなかった。3号倉庫同期の安部貴住がとても高揚して風倉さんの来歴を話していたのを覚えている。同じ大分出身ということもあり、美術家としても影響を受けていたのだと思う。それに比べ私はなんともぼんやりとした印象しか持ち得なかったのだ。
作家という営みで風倉さんを見ていたはずだが、3号倉庫という生な空間では、もっと身近でチャーミングな姿をたくさん見せていたように思う。一緒に煙草を燻らし、制作のみならず、くだらないことも真っ直ぐに話して頂いた。あまりにも距離が近い時にはその大きさを見誤ることがある。私は未だに風倉さんとの距離が掴めないでいる。
プロフィール
1971年福岡県生まれ。1997年多摩美術大学大学院美術研究科修了。絵画制作を中心にインスタレーションや立体制作も手掛け、絵画が持つ立体性と、立体がともなう絵画性を同時に表現している。近年はステイニングや淡い色彩の積み重ねによる絵画制作に重点を置きながら、より形象に拠らない絵画空間を追求している。
主な展覧会に、2003年「福・北美術往来」福岡市美術館/北九州市美術館(福岡)、2003・2009年「TAMA VIVANT」多摩美術大学(東京)、2013年「福岡現代美術クロニクル」福岡市美術館/福岡県立美術館(福岡)ほか。山王ひなた美術教室共同運営。現在福岡県在住。
平岡昌也
HIRAOKA Masaya
大学卒業間近の20代前半から3年間、博多港・須崎ふ頭の倉庫街の一角にある3号倉庫で昼夜制作に明け暮れる有難い日々を過ごさせて頂きました。“創作活動とはこういうものだ”といった作家としての礎を同世代のアーティストと共に模索し続けた夢のような時間であり、ユートピアのような場所でした。理想の制作環境として、あの頃の状況を未だに追い求めている気がします。
また3年間の殆どの時間を制作に充てていた私は、風倉さんと2人きりになる機会が度々ありました。真夜中の制作の際「平岡君は貧乏だからね〜(笑)」と、何やら嬉しそうなお顔で、野菜たっぷりの即席ラーメンをこしらえて下さる機会がありました。ふと思うのです、何故あの時風倉さんは嬉しそうなお顔をされていたのかと。今となってはその真意を知る由もありませんが、貨幣価値や評価に置き換わることを創造の目的とはせず、ひたすらに雨粒を描き続ける変わり者の若造のことを、当時そのような言葉で優しく微笑んで下さったのかと思うと、あの頃のままの意思で作家として生きて行くことが、どういう訳か愉快で掛け替えのない確かなものに思えてくるのです。その微笑みは、現在も創作する意義や生き方の道標となっています。
プロフィール
1980年福岡県生まれ。2003年九州産業大学芸術学部美術学科絵画コ−ス卒業。画家として活動をはじめた2002年から現在に至るまでの20年間、一貫して“恵みの象徴としての雨”をテーマとした絵画作品「うんう(雲雨)シリーズ」を制作。恵みの雨が降り注いでほしい事物や場をムチ(琉球漆喰)で描くシリーズや、“愛おしい風景を撫でる”をコンセプトに特定の地域を水彩絵の具で百点描く百景シリーズ、変化の渦中にある風景を真鍮コインに刻む幸せのコインシリーズなど、“祈り”としての創作活動を続けている。2012年、沖縄市(通称KOZA)にARCADE(アーケイド)−Art Spaces&Studios−を共同設立。主な展覧会に、2016年「イチハナリアートプロジェクト+3」(伊計島、沖縄)、2017年「マブニ・ピースプロジェクト沖縄」(沖縄県平和祈念資料館、沖縄)、2018年「Swab Barcelona International Art Fair 2018」(バルセロナ)、2019年「大浦湾ピースアートプロジェクト2019」(沖縄)、2020年「沖縄アジア国際平和芸術祭」(沖縄)、2022年「うるまシマダカラ芸術祭」(宮城島、沖縄)ほか。沖縄県在住。
作品について
https://www.hiraokamasaya.com/sangosoko
https://www.hiraokamasaya.com
三輪恭子
MIWA Kyoko
ある日の夜、3号倉庫の事務所でぼんやり座っていると、滅多にかかってこないデスクの電話が突然鳴った。「風倉さん、死んじゃった。」電話口でそう告げられた時、私はとっさに事務所の壁に貼られた、風倉さんの顔写真が大きく映ったポスターと目を合わせた。死んだのですか。一度も会えないまま。彼はいつものように黙ってこちらを見つめていた。そう、私は風倉さんに直接会ったことがない。周りの人から聞いたエピソードや、作品や映像、3号倉庫に置いてあった蔵書。そんな断片を継ぎ合わせてぼんやりと私の中の風倉さんの姿は出来ていた。3号倉庫のソファで寝そべるたびに例のポスターと目が合い、その度に彼は私に何か言いたげで、私は何かを応えようとした。
風倉さんが本当はどんな人だったのかは未だに分からないが、3号倉庫では日々、作家たちが美術や宇宙や生命などについて話し、何日風呂に入ってない自慢をし、くだらない喧嘩をし、時には耳をすませると遠くに海の音が聞こえた。その細部すべてに風倉さんはいたのかもしれない。それは今も私の中にあり、いつでも行ける場所だ。
プロフィール
1982年宮崎県生まれ。2007年福岡教育大学大学院教育学研究科修了。「“個”の祝福」をテーマとし、彫刻、インスタレーションやドローイングなど、様々な手法で作品を展開している。訪れた場所の光をレンズや鏡を通して紙などに映写し「記憶の物質化」を試みた作品や、九州近郊の島々を中心に、先祖崇拝といった宗教的思想や日常への応用について調査した内容を描いたドローイング、見知らぬ他者が眠りにつく直前に見る個人的な風景を眺めることのできる立体装置など、忘れ去られてゆく個人や場所の記憶に作品を通じて揺さぶりをかけ、その存在の肯定を試みる。また、最近では、人々との対話を通じて絵を描く「聞き描き」や、タロットカードや心理療法(オープンダイアローグ)を用いた悩み相談会のワークショップを主催するなど、人の声を聴くことに焦点を当てた活動を展開している。主な展覧会に、2017年「Local Prospects3 原初の感覚」(三菱地所アルティアム、福岡)、2019年「VOCA展2019 現代美術の展望─新しい平面の作家たち」(上野の森美術館、東京)ほか。現在埼玉県在住。
森田加奈子
MORITA Kanako
風倉さんとは、制作の合間や食事時間によく談話をしました。穏やかで親しみやすく、丸眼鏡の歪みに伴って瞳が大きくチャーミングだった印象があります。制作の時も威圧的なことはなく、「うまくいかないなぁ」などとぼやかれる風倉さんに、私は通りすがりによく微笑み返しました。それから「お茶にするかね?」と風倉さんからお声がけいただき、温かいコーヒーを同期の平岡さんと3人で飲み、あっという間に時間が過ぎていたことも懐かしく思います。ある日、何気ない会話から“先祖返り”の話題になりました。私は東欧やロシアに、風倉さんはインドにルーツを感じる。という話で笑いましたが、不可解なことが腑に落ちる瞬間でもありました。それから風倉さんが他界して、私は先祖返りをテーマにした作品をつくりました。今、風倉さんに、各々の身体の感覚は、実は先祖の記憶に触れているのではないだろうか。と問うたら何と応えてくださるだろうか。「そうだね。もりたくん。」と声が聞こえてきそうです。
3号倉庫での3年間を振り返ると、年に一回ある個展のプレッシャーが強かったことを思い出します。その一方で、アトリエメンバーと奮闘した経験や風倉さんの言葉は今も制作の糧になり、暖かく朗らかな雰囲気を帯びた感覚が残っています。
プロフィール
1979年香川県生まれ、福岡県育ち。2003年九州造形短期大学美術科研究生修了。自身にまつわる“わかりあえなさ”の無情感を油彩で現した抽象画や、1枚のキャンバスに人物を含む風景画を2つ配置し、先祖返りへの感覚を表現した絵画などを発表。近年は“眠らない水脈”をテーマに、刺繍による風景画や油画を制作。新聞の短編小説挿絵や航空会社広告の作画、書籍の装画なども手がける。主な展覧会に、2014年「福岡県文化会館建設50周年記念とっとっと?きおく×キロク」福岡県立美術館(福岡)、2018年「福岡県立美術館 コレクション展II 夏休み特集アートたんけんアートたいけん」福岡県立美術館(福岡)ほか。現在福岡県在住。
西日本新聞朝刊 2023年7月21日(金) https://www.nishinippon.co.jp/item/n/1109360/
毎日新聞夕刊 2023年8月14日(月) https://mainichi.jp/articles/20230814/dde/012/040/002000c
https://news.yahoo.co.jp/articles/341875a27e756ab122237c0a42c78a54f3392a91