ネオ・ダダの痕跡

赤瀬川原平 AKASEGAWA Genpei
風倉匠 KAZAKURA Sho
篠原有司男 SHINOHARA Ushio
田中信太郎 TANAKA Shintaro
吉野辰海 YOSHINO Tatsumi

2020年3月18日(水)−4月4日(土) 日曜休廊

赤瀬川原平
赤瀬川原平 Genpei Akasegawa
《無題》
紙、ペン
22.5×14.7cm
1960年代
(ウィルヘルム・ライヒ著「きけ 小人物よ!」挿画)

1960年に結成された前衛芸術グループ、ネオ・ダダ(ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ)は、従来の芸術概念を打ち壊すような過激なアクションやパフォーマンス、廃品を用いた作品などで美術界に衝撃を与え、一年にも満たない短い活動期間でありながら、反芸術の旗手たちとして脚光を浴びました。
グループ解散から数十年を経て、メンバーの吉村益信は「ネオ・ダダは短期解体によって持続運動に生まれ変わったといえないか」、赤瀬川原平は「未知のエネルギーや形態を見たいという気持ちはネオ・ダダのころと同じだと 思う」と語るように、それぞれの作品の中ではネオ・ダダの精神が深い余韻となって生き続けています。
本展ではネオ・ダダのメンバー、赤瀬川原平(1937-2014)、風倉匠(1936-2007)、篠原有司男(1932-)、田中信太郎(1940-2019)、吉野辰海(1940-)の作品約30点を展示いたします。赤瀬川原平は初公開となる1960年代のペン画12点、風倉匠と田中信太郎は金属を用いた平面作品、そして篠原有司男と吉野辰海は最新作を発表します。


ネオ・ダダ [ネオ・ダダイズム・オルガナイザー(ズ)]
1960年3月、第12回読売アンデパンダン展に出品していた吉村益信、篠原有司男らを中心に結成された前衛芸術グループ。吉村益信の自邸「ホワイトハウス」(磯崎新設計、新宿・百人町)を拠点に、イヴェントやパフォーマンス など過激な活動を繰り広げる。グループで3回の展覧会を開催。1960年4月「ネオ・ダダイズム・オルガナイザー展」(銀座画廊)、7月「第2回ネオ・ダダ展」(吉村アトリエ)、9月「第3回ネオ・ダダ展」(日比谷画廊)。
メンバーに、赤瀬川原平、荒川修作、風倉匠、岸本清子、木下新、篠原有司男、田中信太郎、田辺三太郎、豊島壮六、升沢金平、吉野辰海、吉村益信など。


赤瀬川原平 AKASEGAWA Genpei

赤瀬川
《無題》
紙、ペン
22.5×14.7cm
1960年代
(ウィルヘルム・ライヒ著「きけ 小人物よ!」挿画)

1937年神奈川県生まれ。1955年武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)油絵科入学。1960年に吉村益信、篠原有司男らとネオ・ダダイズム・オルガナイザーズを、1963年、高松次郎・中西夏之と「ハイ・レッド・センター」を結成。1966年、千円札裁判が 開廷、“芸術裁判”と呼ばれる。1981年『父が消えた』で第84回芥川賞受賞。1986年 「路上観察学会」結成。1992年、秋山祐徳太子・高梨豊と「ライカ同盟」結成。1995年 「赤瀬川原平の冒険:脳内リゾート開発大作戦」(名古屋市美術館)。2014年「赤瀬川原平の芸術原論展-1960年代から現在まで」(千葉市美術館)、「尾辻克彦×赤瀬川原平−文学と美術の多面体」(町田市民文学館)。


風倉匠 KAZAKURA Sho

風倉匠
《温暖計》
ミクストメディア
60×34cm
1994年

1936年大分県生まれ。1956年武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)入学。1960年、前衛芸術家グループ 「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」のメンバーとして活動。巨大なバルーンに入って動く独自のパフォーマンスを展開。1979年より大分に拠点を移す。1980年「絵画の起点を探す検討作業」(大分県立芸術会館)。1986年「前衛芸術の日本1910-1970」(ポンピドゥ・センター、パリ)。1995年「第7回バングラデシュ・アジア美術ビエンナーレ」(バングラデシュ)。2002年「-さわれる原風景を探す-風倉匠展」(大分市美術館)。


篠原有司男 SHINOHARA Ushio

《パリだぜ!牛ちゃん-親友、木下新に捧げる》
アクリル、キャンバス
183×435cm
2020年

1932年東京都生まれ。1952年東京藝術大学美術学部油絵科入学。1960年ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズのメンバーとして活動。1969年よりNYに 拠点を移す。2005年「篠原有司男 ボクシング・ペインティングとオートバイ彫刻」(神奈川県立近代美術館)。2007年「ギュウとチュウ-篠原有司男と榎忠」(豊田市美術館)。2012-13年「TOKYO 1955-1970」(ニューヨーク近代美術館)。映画「キューティー&ボクサー」で2014年度アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞ノミネート。2017年「篠原有司男展 ギュウちゃん、”前衛の道”爆走60年」(刈谷市美術館)。


田中信太郎 TANAKA Shintaro

左から《無域》 《Pianissimo》 《羽のないトンボ》 《門》 《曲と直》
銅、紙
各60.8×25.0cm
2010年

1940年東京都生まれ。1958年フォルム洋画研究所に学ぶ。1960年ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズのメンバーとして活動。1969年「第6回パリ青年 美術家ビエンナーレ」(パリ市立近代美術館)。1971年「第11回サンパウロ・ビエンナーレ」(ブラジル)。1972年第36回ヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表。2001年「田中信太郎|饒舌と沈黙のカノン」(国立国際美術館)、2007年「国立新美術館開館記念展 20世紀美術 探検-アーティストたちの三つの冒険物語-」(国立新美術館)。2014年「田中信太郎 岡崎乾二郎 中原浩大 かたちの発語展」(BankART1929)。



吉野辰海 YOSHINO Tatsumi

《此処へ−運動の変換 B》
FRP、油彩
24.5×37×19.5cm
2019年

1940年宮城県生まれ。1959年武蔵野美術学校油絵科入学。1960年ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズのメンバーとして活動。1970年代末より犬を モチーフにした作品を展開。1991年「芸術と日常:反芸術/汎芸術」(国立国際美術館)。2002年「熊本市現代美術館開館記念展 アティテュード2002」(熊本市現代美術館)。2007年「六本木クロッシング2007:未来への脈動」(森美術館)。2012年「清水晃・吉野辰海 漆黒の彼方/犬の行方」(埼玉県立近代美術館)。2014年「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち」(板橋区立美術館)。


産経新聞 2020年3月22日(日)朝刊
https://www.sankei.com/article/20200319-6EKDX7JB2RN25OWRJEQCXIOSME/

日本経済新聞 2020年3月27日
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57147350U0A320C2BC8000/

毎日新聞 2020年3月30日(月)夕刊
https://mainichi.jp/articles/20200330/dde/014/040/004000c

読売新聞 美術展ナビ 2020年4月3日(金)
https://artexhibition.jp/topics/news/20200403-AEJ206306/

読売新聞 2020年3月28日(土)夕刊

朝日新聞 2020年3月31日(火)夕刊

西日本新聞 2020年4月1日(水)朝刊


展示風景を YouTube と パノラマ でご覧いただけます。